江戸時代は当然自宅出産だったが、血を忌(いまわ)しむ漁村など地域によっては「産所」が設けられていたが、一般の家にも「産室」を設ける習慣があった。
部屋の天井から綱がぶら下がっていてそれにすがって出産する「座産」が江戸時代の出産スタイルだった。
江戸期のお産は「産み落とす」感覚であり、産婆 が介助し問題があった時に産科医が呼ばれた。
骨盤の異常などがわからず無理して出産して死んでしまったりお産が終わった後に産椅(さんき)という座椅子に座っていなければならず明らかに間違った風習のため死産も多かった。

現在でも戌の日には産婦さんが帯を巻く(腹帯)が江戸時代は帯がゆるいと胎児の場所がズレるなどと言われかなりきつく巻いていたようだ。
お産の技術は西洋に劣らず近代産科学の基礎を築いた。
賀川玄(げん)悦(えつ)や幕末の水原三(さん)折(せつ)は有名な産科医として名を残した。
ただ賀川は江戸時代か らきつく締める腹帯は胎児に悪影響を及ぼすと言っていた。